•  「なぜボジョレーヌーボーは儲かるか」

     

    公認会計士 林 總 

    昨年一番好評だったセミナーの原稿を起こしました。是非ご一読ください。 

    今日は「なぜボジョレーヌーボーは儲かるか」という話です。ご存知のようにボジョレーヌーボーの解禁は、毎年11月の第3木曜日です。ワイン好きが高じてブルゴーニュとかボルドー、トスカーナとかに時々でかけています。ボジョレーヌーボーのブドウの品種はガメイ種です。ガメイという名前からして美味しそうではないですね。かつては、リヨンの居酒屋やビストロで売られていました。ヌーボーとは新酒という意味です。フランスワインの産地のブルゴーニュの南の端がボジョレー地区です。この最も貧しく、最も安いワインを生産していた地区が一夜にして、世界中の羨望の的になったのです。今日は、その奇跡についてお話をしたいと思います。私は、管理会計の専門ですので、あくまでも管理会計の話です。 

    ここで作られるワインは、夏の終わりに収穫して秋までには仕上げて出荷されます。通常、良いワインは3年ほど寝かせます。ボジョレーヌーボーは、収穫してから3か月後には世界中の店頭に並びます。そんなわけで100年以上前はメーカーが出荷を競い、まだワインとはいえない代物を出荷する業者が横行しました。。そこでフランス政府は、充分に出来上がってないワインを出荷しないようにと解禁日を法律で設定しました。 

    醸造家のジョルジュ・ディブッフが1981年に、この早く飲める以外に何のとりえもないワインを世界のブランドに仕立て上げました。すなわち、早く飲めることを個性と演出し、リヨンの三ツ星レストランのポール・ボキュースのメニューに入れて高級品を演出。そしてラベルのデザインを毎年変えて視覚的にアピールし、生産地にワイン村を開設してPR。これで一気にお客さんを増やそうと考えたのです。需要が増えても、生産が追い付かないと売上に繋がりませんそこで、をマセラシオン・カルボニック法と呼ばれる急速発酵技術で早期大量生産をして、79週間でワインを完成させて、急激な受注増に対応する仕組みで対応することにしました。海外の有力販売業者への売り込みと販売チャンネル、市場の拡大を進めました。生産が増えれば、原料のブドウの生産も増やす必要があります。農家の組織化で材料安定供給とコスト削減を行いました。さらに、規模が拡大すれば運転資金が不足します。在庫と売掛金が増えるからです。その問題を解決するために、解禁日をあおって予約販売を進めました。組織を超えたプロセス管理を行い、生産したワインを一気に販売して確実な現金化にしていったのです。彼がやったのは、キャッシュフロー経営でした。 

    一方のボルドーワインは、品質を保つために出来の良いブドウだけを厳選して、23年の熟成期間を経て出荷。つまり在庫滞留していることになります。在庫はお金の仮の姿ですから、、お金が利益を生まない状態で眠ってしまっていることです。キャッシュフロー経営的にはボジョレーより劣っているということです。 

    ここで別の視点からキャッシュフローを見ていくことにします。餃子屋と高級フレンチでどちらが儲かるのかを考えてきましょう。管理会計的には限界利益と固定費の話です。限界利益は、売上

    から材料費を引いた金額です。売上を増やせば、限界利益は比例して増えます。限界利益は収入の源泉です。固定費はビジネスの維持費です。大きな店舗なら家賃がかかりますし、店員が多ければ人件費は増えます。これらの費用は売上に関わらず、商売の規模が変わらなければ、毎月ほぼ同額の支出を生じさせるところから、固定費と呼ばれます。この限界利益と固定費が一致する売上、つまり収支がバランスする売上高を「損益分岐点売上」といいます。この実際の売上高が損益分岐点売上が多けなれば利益ですし、少なければ損失になります。例えば、餃子屋は小さな店構えで出来て、売上が少なくても固定費も少なく限界利益が低いので、少ない売上高で損益分岐点に達します。また多少売上げが減っても赤字になりにくいビジネスモデルです。一方高級フレンチは、家賃や設備費、それに従業員の人件費などの固定費が多く掛かる一方で、料理が高い分限界利益率は高くなります。損益分岐点売上を達成するには、骨が折れるということです。しかし、景気がいい時は餃子屋よりはるかに多い利益を稼ぎだせますが、不況と共に売り上げが減ると、瞬く間に赤字になってしまいます。拙著「餃子屋とフレンチでは、どちらが儲かるか」では、両者は利益構造が違うから、どちらが儲かるかは一概には言えない、と書きました。ところが、そうではなかったのです。 

    ひらまつと王将を例にお話しします。ひらまつは、売上100億円のフレンチレストランで、王将はご存じのように餃子の王将です。ひらまつと王将を比較していきますと、王将の売上高はひらまつの約6(平成23年度)ですが、固定費、限界利益、営業利益も6倍です。また、限界利益率、営業利益率は全く同じでです。つまり損益計算書だけ見ているとひらまつも王将も、収益力に差をなく、違いは会社の規模だけだと思うわけです。 

    でも、そうではないのです。利益構造は同じですが、営業キャッシュフローを獲得する(現金を生み出す)力は王将が圧倒的に優れています。実際に増やした現金が、ひらまつと王将では14倍も違うのです。この筆身を解くカギは、在庫と売掛金にあります。 

    現金循環化日数を計算すればたちどころに分かります。現金循環化日数は、仕入れから製造、販売、代金回収までの日数。この日数が少ないほど、企業の運転資金が高速で回転していることを意味します。在庫の回転日数は王将が4.7日でひらまつは76日。現金循環化日数はひらまつが40日なのに、王将はなんとマイナス25日です。このことからわかるのは、つまり、王将は自分の資金を使わないで商売しているのです。王将の秘密は、運転資金の負担がなく、在庫の回転率が速く、資金を高速に回転させているからです。それともう一点。王将の限界利益率が高いというのが、私の仮説を根底から覆しました。材料仕入と材料の使い方が桁違いにうまくなされているということです。 

    以上の2つの例からボジョレーヌーボーと王将の共通点が浮き彫りになります。つまり、利益率が高く、運転資金の投入から回収までの時間が短いという点です。 

  • 九月の連休を利用して、イスタンブールとパリに行ってきました。詳細は団達也(11月2日開始)で書きますが、さすが4000年の歴史を持つ国。ただただ驚きの連続でした。一番の驚きは町の美しさ、食事のうまさ、そして、怪しげなグランバザール。見事騙されました。

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  • 久しぶりに旅行に行ってきました。

    米原に二泊し、一日目は近江八幡。二日目は長浜。どちらも長い戦国の世を生き抜いた土地だけあって、歴史の奥深さにただ感激した次第です。

    一日目の夕食は近江市ですしを食べました。これが絶品。二日目は、嗜好を変えてイタリアン。一緒に飲んだバレバレスコもうまかった。

    失ったにおいと味も90%回復したおかげで楽しめました。

     

     

  • 久しぶりに、にんじんジュースダイエットをしに、伊豆で5日ほど過ごしてきた。年一度の断食を初めて今年で十年になるが、いつも思うのは、食を断つと逆に活力が出てくる、と言うことだ。例えば、大室山までの上り坂を一時間、分180歩のベースで歩いても疲れない。山頂をぐるっと一回りして、同じ道を同じペースで戻ってきても疲れない。しかも、日を追うごとに元気になる。頭も冴える。原稿も進む。いいことずくめなのだ。内外の哲人や高僧が、折に触れて断食する理由が、すこしだけ分かるような気がする。

     

    この施設を主催する石原医師が強調するように、私たちは食べ過ぎなのだ。特に、私は検査の都度、代謝異常という不名誉な烙印を押されるが、もしも断食をしていなかったらと思うと、そらおそらおろしくなる。

     

    て、体重はどうなったかというと、4泊して2.5キロ減。幸い会食の予定もないから、このまましばらく少食を続けようと思っている。

  • 明けましておめでとうございます。
    どうやら私たちは後世の歴史で語り継がれるような激動の中を生きているようです。

    秋に、上海に行ってきました。ここは摩天楼が建ち並び、空港からは時速431キロのリニアモーターカーが行き来する近未来都市のような都市でした。とはいえ、パジャマ姿で町を歩くおじさんや若い女性、赤のナイキの帽子をかぶった団体旅行者たちを見ると、昭和40年代を舞台にした映画「オールウェーズ」に出てくる日本のようにも思えました。

    いまアジアには勢いがあります。その牽引車である中国が上海万博後どうなるか。十年前から言われているのは、万博を契機に中国の衰退が始まるというものです。貿易立国から脱皮できない日本は、その時までに成長戦略を描がき歩み出せるか。そして私たち個々人が自分の生活を守る。ここが大切なポイントだろうと思います。

    今年こそはいい年でありますように。

  • 今や東京を超えるとも言われるこの巨大都市へ行ってきた。

    1. 驚き

    1)     パジャマ姿

    なんといっても一番の驚きは街中をパジャマで歩く人を何人も見かけたことだ。若い女性までがそうなのだから、どうやら彼らはおしゃれをしているのかもしれない。そういえば、私の子供のころもパジャマ姿の人が歩いていた。

    2)     高層ビル

    東方明珠塔は実にユニークな形をしているタワーだ。この近くには。88階建ての高層ビルを始めとした摩天楼でナイキの帽子をかぶった観光客であふれていた。中に、胸にバッチをした北朝鮮の団体客もいた。だがニューヨークや新宿の摩天楼と違うのは、すべてのビルが強烈な個性を持っていることだ。なぜ、こんなスタイルなのかと聞くと、情報通は「個性ある外観は高層ビルの建設の許可を受けるための一つの条件」になっているという。

    1. 食事

    1)     上海蟹

    私が行った11月はオスの蟹がシーズンだった。足にはタグがつけられていて、どこで採れたかが一目でわかる、トレサビリティである。つまり、由緒正しい上海ガニということだ。だが、日本円にして12,3千円もするにしては、味はいまいちだった。香港で食べた時も、シンガポールで食べた時も、東京で食べた時も、上海ガニに感激はなかった。むしろ蟹は富山の甲箱蟹のほうがずっとおいしい。

    2)     料理

    中国料理といえば広東料理か四川料理。すこし変わったところで湖南料理と客家料理だ。上海料理は有名な割には日本での人気はいまいちだ。だが、現地の人に教えてもらった「上海之家」という名の店で食べた上海料理はおいしかった。名物のジューシーな小籠包は絶品で、デパートで売っているシュウマイのような小籠包とは似て非なるものだった。しかも、びっくりするほどの安さ(紹興酒を飲んでひとり2000円以下)。現地の人で満員なのには、それなりの訳があることがよくわかった。

    1. 市内観光

    私は見知らぬ街へ行くと、何はさておき歩くことにしている。上海の街は安全で、おもしろそうな場所がたくさんあるからウォーキングにはうってつけだ。アジアの国、例えばジャカルタやマニラではそうはいかない。町をあるくこと自体が危険なのだ。ただ、上海のドライバーの運転は乱暴で、横断歩道を歩いていても平気で突っ込んでくる。「安曇さん。青信号で渡るのは危険ですよ」と、現地の事情通が教えてくれた。赤信号のいい間違えかと思ったら、そうではないらしい。ヒヤヒヤものだった。

    1)     フランス租界

    第二次大戦前に作られたフランス人街だ。町全体にマロニエの木が植えられていて、東京でいえば広尾か中目黒といった感じの高級住宅街だ。街の雰囲気は同じくフランス人が造ったホーチミンシティに似ている。音楽学校があり、校門の前で違法コピーした音楽CD150元で売られていた。どうやら、このCDもインチキで買っても音が出ないという。

     

    2)     田子坊

    昔のフランス租界の端にある古くて狭い集合時有宅が並ぶ下町。おそらく貧民窟だった場所を、センス良くリニューアルされていて、いまや上海の観光スポットだ。こじんまりした洋服店、雑貨店、レストランなどが何件も軒を連ねていて、おしゃれな日本人や白人があたらこちらで食事をしていた。好意的に見れば、イタリアのベニス、クロアチアのドブロブニクに似ていなくもない。

     

    3)     豫園

    アヘンの臭いが漂ってきそうな異様な建物が立ち並ぶ商店街が豫園城で、その真ん中にあるのが明・清の時代に作られた豫園だ。この庭園に入るには30元必要だが、その価値は十分ある。中に薬草を売る店があり、私は痩せる薬と精力がつく薬を勧められてごっそりと買ってきた。勢いで買ったものの飲む気がおきず、いまでもしまったままだ。

     

    1. 乗り物

    1)     リニアーモーターカー

    乗車時間はたったの8分だった。動き始めて2分後には時速200キロを超え、最高時速はなんと431キロ。だがその猛烈な加速の故か、降りた後疲れが出た。

    「安曇さん。リニアーモーターカーが発する磁力が、人体にどんな影響を与えるか考えたことってありますか」

    帰国した次の日、技術系の仕事をしている友人は私にこう言った。ともあれ、すごいの一言に尽きるドイツ製の乗り物だった。

     

    2)     上海汽船のライトバン

    日帰りで杭州にある西湖に行ったときに乗ったのが、この中国の自動車メーカーが作るライトバンだった。シートは昔の映画館の椅子ようで、1時間もするとおしりが痛み出し、2時間で悲鳴を上げそうになった。おまけに、高速道路の一部は砂利道のようにガタガタ。痛さを我慢して外を見ていると、高速道路の出口を通り越したが車がパックしていた。車を止めて一休みしているドライバーもいた。アジアの国では珍しくない光景だ。

     

    3)     地下鉄

    この町を移動するには便利な交通網だ。しかも、新しくきれいだった。3年前イタリアのミラノの地下鉄で私を取り囲んだ目つきの悪い男女のようなグループは、この町にはいないように思えた。

     

    この町には勢いがあった。町全体を建築現場が発する土埃が立ち込めていた。

     

  • 友人から久しぶりに電話がかかってきた。断わっておくが彼はごく普通のビジネスマンであって、彼が怒りをぶつけている医療については、まったくのド素人である。

     

    「安曇さん、こんなことってあるんですかね。医者が信じられなくなってしまいました」

    と、その知人は不満を爆発させた。

     

    「実は、高齢の母親が脊柱管狭窄症という病気の疑いがありまして、3人の医師に診てもらったんです。そしたら、3人とも診断結果が違うのです」

     

    脊柱管狭窄症は、加齢による脊椎骨の変形により、神経の通り道である脊柱管が狭くなり、脊柱管の中から足へ向かう神経を圧迫することによって起こる病気のことだ。神経の圧迫は、下肢のしびれ、痛み、をもたらし、立っていたり、少しでも歩いたりすると症状が足に痛みがでて、横になってしばらく休むと症状が和らぎ、また歩けるようになるのが特徴的な症状だそうだ。80歳になる友人の母親の症状も全く同じだった。

     

    ところが、医師の1人のは「MRI検査した結果、脊柱管はまったく正常で、なんら問題はない」といい、もう一人の医師は「年をとればこうなりますよ。我慢するしかありません」という。だが、ふたりとも足の痛みやしびれの原因が何かについては答えなかった。

     

    業を煮やした彼は、3人目の医師に診断を仰いだ。

    「結果は?

    私は思わず聞いた。

    「脊柱管狭窄症以外ありえない、と言うんだよね」

    どうも、この医師の診断に不満がありそうな口ぶりだった。

     

    「実はこの医師は問診と簡単な歩行テストとレントゲン写真だけで診断したんだ。昔ながらのアナログだよ。脊柱管狭窄ではないといった医師はMRIを使って診断したんだよ。しかも、地方の名医という評判の医師なんだ」

    「おいおい形式で判断するなんて、君らしくないぞ」

    と忠告すると、こんな返事が戻ってきた。

    「その通りだな。それで思い切って3人目の医師にそのことを話してみた。そしたらこんな答えがかえってきた」

    <この病気を診断する上で一番有効な方法は、実はレントゲン写真なんですよ。いまはなんでもMRIを撮ろうとする。一般の人もそう考えてしまう。しかし、違うんですよ。MRIは脊柱の中に別の病気があるか、神経の状態に異常はないか、といったことを調べるために、いわば補完的に利用するが筋なんです。高齢であることを考えれば、痛みの緩和を第一に考えて治療方針を立てましょう>

     

    私は彼に聞いた。

    「どの医師の診断に従おうとしているのかね」

    3人目かな。病気を特定してくれたし、治療方針もはっきり言ってくれたからね。母もその気になったようだ」と元気のない声でいった。

     

    私にはどの医師の診断が正しいのかわからない。だが、友人の話を聞いて、なるほどと思ったことがあった。診断(判断)は機械がするとのではない、ということだ。そして患者(クライアント)は、いまの辛さを何とかしてほしいのだ。「どこも悪くはない」とか「我慢しなさい」では納得しないのは当たり前だ。そして、最後に診断(判断)を受け入れることを決めるのは、患者(クライアント)ということも

     

    私は彼に「きっとよくなるよ」といって、電話を切った。

     

  • スヘロニア

    829日から9日間、スベロニア共和国とクロアチアを回ってきた。ユーゴスロビア連邦の崩壊とともに独立した国。首都はリュブリャナ。人口は200万人だ。スロベニアはオーストリアに接しており、旧社会主義国とは思えない豊かな国のように思えた。一人あたりGDP(26,784ドル世界31)2004年にEUに加盟し、通貨は2007年からユーロを導入している。

    観光地のブラッド市は日本でいえば箱根のような町で、その中心に位置するブラッド湖を高い山々が取り囲んでいる。湖水は芦ノ湖よりきれいで、山々は富士山より荒々しい。近くには、奥行き24Km世界自然遺産ポストイナ鍾乳洞がある。その規模の大きさは筆舌に尽くしがたく、山口県秋芳洞の巨大版といっていい。

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    クロアチア

    食べることと飲むこととダイエットが趣味の私の好みでいえば、クロアチアの方が魅力的だ。クロアチアはスベロニアとハンガリーの南、西にはアドリア海を挟んでイタリアと向かい合っている。1991年から1995年に戦闘が終結するまでに多数の犠牲者と難民を生み出した。いまでも道路沿いには無数の銃弾の跡が残る家々が点在している。

    気候は温暖。人口は440万人、一人当たりGDP15,636ドル。公用語はクロアチア語。英語を話す人は多く、公園で遊んでいる子供も英語をしゃべるほどだ。

     

    世界遺産

    この国は世界遺産の宝庫でもある。

    圧巻なのは1974年に登録されたドゥブロヴニク旧市街だ。ヨーロッパではよくみられる城壁の町で、ちょうどイタリアのシエナとベネチアを足して割ったような魅力的な街だ。

    この町の起源は古くローマ帝国時代とされている。11世紀頃からヴェネツィア共和国の影響下で発展し、1358年ヴェネツィアの影響から離れラグーサ共和国として自立するようになった。15世紀にオスマン帝国の進出にもかかわらずその宗主権を認めさせ、ヴェネツィアがオスマン帝国と度々戦争状態に入ると、かつてヴェネツィアが独占的に果たしていたアドリア海交易での役割をより確かなものとした。15世紀~16世紀に最盛期を迎えた後、1667年の大地震により衰退の道をたどる。

     

    ドブロクニクに限らず、クロアチアの海に面した町は物価が安く治安もいいということで、ヨーロッパ各地から大勢の観光客でごった返している。部屋を借りて何日も滞在するのだ。

    食事代は、飲んで食べて一人34千円。高そうに思えるかもしれないが、これだけのハイレベルの料理をイタリアで食べればこの34割増はするだろう。

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    ローマ皇帝ディオクレティアヌスが引退後余生を送ったとされるスプリトの歴史的建造物群 1979年)。ここは、ドブロクニクをふた回りほど小さくした海に面した城壁の町だ。長期滞在するには、こちらの方がいいかもしれない。

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    古都トロギル(1997年)は紀元前3世紀にギリシャ人植民者により作られた出島だ。15分も歩けば町の端から端まで歩ける。だが、この小ささが街の魅力でもあるようで観光客でごった返していた。

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    この国には他にも、ポレッチ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教建造物群 1997年)シベニクの聖ヤコブ大聖堂(2000年)、スタリー・グラード平原(2008年)がある。

    さらに、世界自然遺産としてプリトヴィツェ湖群国立公園(1979年)が登録されている。ここは日本の尾瀬に似ていないでもない。いくつもの湖の周りを気軽にトレッキングできるように整備されていて、ここも世界中の観光客でいっぱいだった。国立公園内には国立のホテルだけが営業していた。ニュージーランドのマウントクック国立公園と同じだが、日本もこうした国立公園があってもいい。

     

    ワイン

    世の中には知らないことが多いと、つくづく思わずにはいられなかった。ワインといえば、フランスとイタリアと相場は決まっていて、他に挙げるとしても、カリフォルニア、スペイン、チリ、南アで、クロアチアなどおいしいワインなどあろうはずがない、と思い込んでいた。ネットで検索してみた。大したことは書かれていなかった。

     

    ところがである。クロアチアに行ったことがあるというワイン好きの医師が「プラーヴァッツ・マリは最高ですよ」というのだ。「ブドウの品種で、まだまだ生産者は少ないんですが、コストパフォーマンスは群を抜いています。1万円のボルドーワインくらいのレベルなら三千円も出せば買えますよ」と教えてくれた。そこで、ワイン辞典を調べてみた。

     

    そこには、アドリア海沿岸の島々では紀元前4世紀頃に葡萄を植えワインを作り始めたと書かれていた。代表生産地は、アドリア海の島々とドゥブロブニク の北側のぺリェシャツ半島。道路と平行に横たわる半島だ。ここの主要な品種はプラーヴァッツ・マリ。これはカリフォルニアで多く作られているジンファンデルと同じだという。今回買ってきたのは次の4本。現地で飲んだのディンガッチのプラーヴァッツ・マリは13000円もしないのにもかかわらず、その香といい、味といい、ボディといい、ボルドーやピエモンテの最高級品に比肩する味わいだった。

     

    クロアチアワインは間違いなくブームになる予感がする。